October 05, 2009
会津紀行 その1
先日(日曜日)は、恒例のOB施主様とのBBQ大会を行いました。この模様は次回掲載として、本日は代休を頂いています。
さて、シルバーウィークの週末に“会津若松”に旅行に行ってきました。
お目当てはズバリ“鶴ヶ城”(会津若松城)です。
会津といえば幕末の戊辰戦争での“白虎隊”の悲劇や“新選組”などもゆかりの深い土地柄なので、見どころ満載のプチ旅行となりました。
柏ICから会津若松までは約300km。時間にして約4時間(休憩を挟んで)でした。
初日、向こうに付いたのはお昼前。この日は近くの東山温泉に宿をとっていた為軽めの昼食にしようと“そば”を選択。
ガイドブックに載っていた鶴ヶ城近くの“蕎房かみしろや”に入り、‘遠野そば’を食べました。
この‘そば’は、この辺で食べる‘そば’よりも若干細く、ツルッとした喉越しで中々いけました。
‘そば’の後はいよいよ“鶴ヶ城”です。
その前にこのお城の歴史から・・・・・・・・・・・・・・
天下に名高い“鶴ヶ城”は、1590年に蒲生氏郷が会津領主として黒川城に入城した時から始まります。伊達正宗が会津に入ったことがありましたが、これは前年の1589年の事です。
3年後の1593年に七層の天守閣が完成して、黒川という地名を若松に改め、お城自体も“鶴ヶ城”と改めたのです。この蒲生氏郷こそ、鶴ヶ城の生みの親という訳ですね。
以降、NHK大河ドラマでも有名な上杉景勝が豊臣秀吉の命により会津入りしましたが、1601年には前年の関ヶ原の合戦において石田光成軍敗戦を受けて再び蒲生家が納める事となります。
その後、加藤嘉明、保科正之(後に松平と性を改める)と受け継がれてゆきます。
会津の悲劇は、幕末に松平容保が幕府より京都守護職を命じられる事から始まったのだそうです。
さてこの天守閣。
戊辰戦争後、明治7年に取り壊され、昭和40年に再建されたもので、構造は鉄筋コンクリート造です。
お城内部は石垣など、一部は当時のままですが、各種展示と会津の歴史や幕末の歴史が勉強できるように陳列されていてとても興味深い資料が沢山あり、NHK大河ドラマの影響もあり沢山の人出がありました。
また公園内には、千利休の子“少庵”の茶室“麟閣(りんかく)”が保存されています。
知っていましたか?茶道の流派って当時は6派もあったんだそうで、現在では武者小路千家、表千家そして裏千家の3派だけが興されているのだそうです。茶道に精通している訳ではないのですが「へ〜〜」です。
幕末時、幕府を守る立場の会津が逆賊となり多くの悲劇の末に現在の日本があるのです。
何とも後味の悪い気持がいっぱいになり「もし開国派が負けていたら大政奉還もならず日本はどうなっていたのだろう?」と日本の歴史を振り返る旅となりました。
翌日は“武家屋敷”や“白虎隊自刃の地”などを見学しました。
後半は次回に。
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